ただ頷くだけのつもりが、謎のマイルール論争に巻き込まれた。
エレベーターに乗り込んだ瞬間、顔だけ見覚えのある相手と二人きりになった。名前は思い出せない。おそらく社外の人間か、別のフロアの誰かだろう。互いに素性を探り合うような、丁寧だが距離のある空気が漂う中、ここは無難に省電力通信で済ませようと判断した。相手が話を振ってきたら受け止め、振ってこなければそのまま沈黙でもいい。ところが相手は扉が閉まるなり、自分の中にだけ存在する謎の食事ルールについて、コンプライアンス違反を糾弾するかのような熱量で語り始めた。
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ゲスト「あの、突然すみません、〇階お願いできますか」
自分「あ、大丈夫です、押しますね」
(心の声:まずは最低限の業務対応。ここまでは平常運転だ。)
ゲスト「実は最近、自分の中で決めてるルールがありまして、ある系統の食事は年に三回までと決めているんです」
自分「そうなんですね」
(心の声:唐突な私設コンプライアンス規定の開示。展開が読めない。だが省電力通信は深入りしない。)
ゲスト「ただ、外食で誘われた場合はカウントに含めない、という抜け道も作っていて」
自分「なるほど」
ゲスト「これって、ルールとしてはアリだと思いませんか」
自分「アリだと思います」
(心の声:肯定だけで押し通す。反論はコストが高すぎる。)
ゲスト「ですよね、やっぱりそう思いますよね」
自分「はい」
ゲスト「あと、誰かの誕生日の場合も例外にしていて」
自分「それも良いと思います」
(心の声:例外規定がどんどん増えていく。もはやルール自体の意味が薄れているが、指摘するコストの方が高い。)
ゲスト「結局、自分で決めたルールなので、自分で解釈を広げても問題ないと思うんです」
自分「そうですね、自分ルールですもんね」
(心の声:ちょうどそのタイミングで扉が開いた。目的階への到着による正常終了。危うく解釈論の深いところまで付き合わされるところだった。)
ゲスト「あ、着きましたね、失礼します」
自分「お疲れ様です」
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エレベーターを降りながら、今日のログを振り返る。
省電力通信は本来、相手に主導権を渡すだけの受動的な戦略のはずだった。ところが今日のように、相手が次々と例外規定を積み増していく展開に対して、こちらが機械的に肯定の相槌を返し続けると、いつの間にか相手の拡大解釈そのものを丸ごと承認したことになってしまう。「アリだと思います」を三回繰り返した時点で、こちらは単なる傍観者ではなく、共犯的な承認者に近いポジションへと移動していた。
名前も知らない相手の私的なルールに、そこまで深く同意する必要は本来どこにもなかった。それでも止まらなかったのは、エレベーターという密室特有の圧力と、反論に伴う説明コストを天秤にかけた結果、肯定の方が圧倒的に安上がりだったからだ。
今日から持ち帰るなら、「内容の是非が読めない話には、肯定ではなく相槌に留める」という一点に尽きる。「アリだと思います」ではなく「面白いですね」くらいの温度で十分だった。密室での相槌は、外に出た瞬間に取り消せない記録として残ってしまう。
エレベーターを出た後の自律神経、残量にして体感八割。数十秒の乗車で得た消耗としては及第点だが、次に同じ相手と乗り合わせたとき、今日の同意履歴を根拠に何か聞かれないかだけが少し不安である。
ただ頷くだけのつもりが、謎のマイルール論争に巻き込まれた
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