手を洗うだけのつもりが、気づけば最新用語を仕入れていた。
トイレの洗面台で鏡越しに同僚と目が合った瞬間、今日はロジカルな判断が働いた。相手はホワイトリスト登録済みの安全なピアであり、敬語というファイアウォールを介さずに本音のやり取りができる数少ない相手だ。ちょうど来週の会議で、何か気の利いた最新トピックを一つ挟んでおきたいという業務上のニーズを抱えていた自分は、この短い洗面台タイムを使って、相手の脳内に蓄積された「今使うと得する単語」を無償で抽出することにした。
—
自分「あ、お疲れ」
同僚「お疲れ、髪型変えた?」
自分「いや変えてない。ねえ、最近なんかそれっぽい単語ある?会議で使えそうなやつ」
(心の声:前置きなしの直球クエリ。ホワイトリスト同士なら回りくどい前置きは不要。単刀直入がROI最大。)
同僚「それっぽいって(笑)、なんか資格の制度が変わるとかは聞いたけど」
自分「へえ、それ詳しく」
(心の声:一次情報キャッチ。深掘りしないと鮮度が落ちる前に劣化する。今のうちに確保せよ。)
同僚「詳しくは知らないけど、なんか今までよりハードル下がったらしいよ、取りやすくなったとかで」
自分「それは良い。今度の会議でさらっと触れるわ、ありがとう」
同僚「別にいいけど、そんな使う?」
自分「使う使う、言うだけならタダだから」
(心の声:言うだけならタダ、という発言そのものが今日いちばん危険な自白だった。)
同僚「それ言っちゃうんだ(笑)」
自分「言うでしょ、お互い様じゃん」
(心の声:油断した。信頼済みピアの前だと防御プロトコルがすぐ緩む。本音が漏洩している。)
同僚「まあ否定はしないけど」
自分「でしょ」
(心の声:そのタイミングで別の同僚がトイレに入ってきて、二人とも自然に会話を切り上げた。外部ノードの侵入による強制終了。ちょうどいいタイミングだった。これ以上喋っていたら、手口を全部自白するところだった。)
同僚「じゃ、戻るわ」
自分「うん、また」
—
洗面台を離れながら、今日のログを振り返る。
データ抽出というプロトコルは、通常は相手に警戒されないよう慎重に距離を測るものだが、今日のように相手がホワイトリスト登録済みの同僚だと、警戒される前に本題まで到達できてしまう。効率は良いが、その分、自分の意図もあっさり見透かされるという副作用がある。「言うだけならタダ」という発言を悪びれずに口にした時点で、こちらの手口はほぼ全面的に露呈していたと言っていい。
今日拾った単語は、あくまで会議の場を一瞬持たせるための借り物の武器にすぎない。中身を理解せずに使う言葉は、いずれ深掘りされた瞬間に在庫切れを起こす。それでも、こういう小さな情報収集を積み重ねることでしか生き延びられない場面があるのも事実であり、今日のところはそれを完全には否定しないでおく。
今日から持ち帰るなら、「借りた単語は、使う前に一度だけでも自分の言葉に翻訳しておく」という一点に尽きる。そうすれば、追加の質問が飛んできても、最低限の防御は成立する。
手洗いついでの自律神経、残量にして体感八割。今日は消耗より収穫の方が大きかった珍しい一日だった。あとは、この単語を実際に使う瞬間まで記憶領域から消さずにいられるかどうかにかかっている。
手を洗うだけのつもりが、最新用語を仕入れていた
データ抽出記事内に広告が含まれています。

