好感度を稼ぎたかったのに、なぜか噂の的になった。
トイレの洗面台で、隣の部署のベテランと鉢合わせた。この人は普段から愛想がいい分、油断すると気づかぬうちにプライベートの奥まで探られている、油断ならない相手だ。今日はとにかく心証を良くしておきたい理由があり、全力の好感度ハックを起動することにした。ただ、話す材料の在庫が切れていたせいで、脳内CPUはなぜか思い出せない誰かの歌のサビらしきフレーズを、大真面目な顔でその場の会話に混ぜ込むという奇策に出た。
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自分「お疲れ様です」
ベテラン「あ、お疲れ様、最近忙しい?」
自分「今日も一日長いですよね」
ベテラン「ほんとだよ、もうくたくた」
(心の声:入り口の一手は無難。ここからやんわりと深部までスキャンされていく気配がする。今日はあえて防御より接待を選ぶ。)
自分「忙しいですけど、まあ、こういう日々もいつか終わるよなって思いながらやってます」
ベテラン「え、なんかいいこと言うね、詩人みたい」
(心の声:唐突に情緒的な言い回しを挟んでしまった。特に理由はない。好感度ハックの副作用として、謎の詩的モードが発動している。)
自分「そうですかね、なんか、頑張った先にしか見えない景色があるって信じてるので」
ベテラン「なんか今日、雰囲気違うね。何かあった?」
(心の声:止まらない。誰のものとも分からないフレーズが口から溢れ出てくる。ベテランの目が輝き始めたのを検知した。)
自分「いや、特には」
ベテラン「彼氏彼女とか、何かうまくいってないとか?」
(心の声:食いついた。好感度を稼ぐつもりが、逆に警戒フラグを立ててしまったらしい。)
自分「いや本当に何もないです、ただの気分です」
ベテラン「そう?なんか無理してない?」
(心の声:プライベート領域への侵入がすぐそこまで迫っている。撤退すべきだ。)
自分「してないです、大丈夫です、逆に元気なくらいです」
ベテラン「まあ、何かあったらいつでも言ってね」
(心の声:不自然な即答による墓穴。むしろ怪しさが増した気がする。)
自分「ありがとうございます、その時は頼らせてもらいます」
(心の声:ちょうどそこに別の部署の人が入ってきて、ベテランが「あ、〇〇さん」と挨拶に切り替わった。外部ノードの割り込みによる強制終了。詩的モードが完全停止する前に、なんとか間に合った。)
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洗面台を離れながら、今日のログを見直す。
好感度ハックは通常、相手の関心事にフルコミットすることで機能する戦略だが、今日のように会話の在庫が尽きた状態で発動すると、代わりに謎の詩的モードが暴走することがあると分かった。誰の言葉とも判別できない情緒的なフレーズを、真顔でオフィスの立ち話に持ち込むのは、明らかに費用対効果の悪い運用である。
さらに厄介だったのは、相手が情報収集型のベテランだったことだ。この手のノードは、雑談の温度がわずかでも上がった瞬間を敏感に検知し、そこにプライベートへの入り口があると判断して即座にポートスキャンを開始する。好感度を稼ぐつもりの一言が、結果的に「何か事情がありそうな人」という新しいタグを自分に貼り付けてしまった。
今日から持ち帰るなら、「好感度ハックは、感情ではなく事実で組み立てる」という一点に尽きる。感情の滲んだ言葉は、聞き手に興味という名の追加クエリを発生させる。無難に好かれたいだけなら、天気やスケジュールの話で十分だったのだ。
洗面台タイムを終えた自律神経、残量にして体感六割。詩的モードの後遺症か、しばらく自分でも自分の発言に驚いていた。次にベテランと会うときは、感情を一切含まない天気の話だけで乗り切ろうと思う。
好感度を稼ぎたかったのに、なぜか噂の的になった
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